コラム

ユニバーサルデザイン再考(1)
SDGs時代に、UDの歴史を改めて振り返る

  • トッパンエディトリアルコミュニケーションズ株式会社
  • UDコミュニケーションラボ
  • 醍醐 利明

SDGs、ダイバーシティ&インクルージョン、合理的配慮などが求められるいま、ユニバーサルデザイン(UD)とは何かを改めて問い直してみたいと思います。
まずは、その歴史を振り返ることで、これまで何をめざし、どのように発展してきたのか、見落とされがちなことも含めて、どのように位置づけて考えるべきかを整理してみます。


【この記事のポイント】
1)UDは「誰ひとり取り残さない」社会を実現するための「手段」
2)UDには、「市場性」と「魅力的であること」が不可欠
3)UDとは、ユーザビリティを高めユーザー層を広げる開発視点

SDGs、D&Iとの関連性

1990年代後半に「ユニバーサルデザイン(UD)」の概念が日本に「輸入」されてから四半世紀。その歴史をひもとくと、現在、世界的な関心を集める「SDGs」や「ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)」と深い関係にあることがわかります。
結論からいうと、D&Iを実現するための「目標」がSDGsであり、D&Iを実現する「手段」のひとつがUDという関係であると位置づけられるのではないかと思います。
UDを定義する言葉はさまざまにありますが、先行して広まっていた「エコデザイン」が「地球にやさしい」というキャッチフレーズだったことにならい、「人にやさしいデザイン」と表現されることもあります。では、人にやさしいデザインとはどのようなものなのか、それを再考することが、このコラムのめざすところになります。

D&I・SDGs・UDの関係


「多様性」時代に「ユニバーサル」は適切か?

多様性が重視されるようになったダイバーシティ時代、「ユニバーサル=普遍」という単語を使うのが適切なのか、新たな言葉を使うのがよいのかは、悩ましいところです。
ただし、この言葉がいくつかの誤解をはらみながらも、すでに広く認知されていること、これからご紹介する提唱者の遺志を継ぐことの両面から、本コラムでは「ユニバーサルデザイン」の語を使っていこうと思います。


ユニバーサルデザイン世界史

まずは、ユニバーサルデザインの提唱者である米国のロナルド・メイス氏の活動を中心に、2020年代現在の視点から重要と思われる「歴史的事実」を掘り起こしてみましょう。

ユニバーサルデザインの起源

「ユニバーサルデザイン」のはじまりは、後に「ユニバーサルデザインの父」と称されるメイス氏が論文を発表した1985年といわれます。
『Designers West』誌に掲載されたこの論文のタイトルは、『ユニバーサルデザイン:みんなのためのバリアフリー環境)』(※1)。
ただし、その着想はさらに10年以上も古く、1974年に作成した『Barrier-free design』という会議報告書(※2)のなかで、「バリアフリーデザイン」の問題点を解消するための概念としてすでに「Universal Design」の語を使用しています。
それぞれのタイトルからもわかるとおり、ユニバーサルデザインはバリアフリーと切っても切れない関係にあります。
ユニバーサルデザインの歴史を詳しくみていく前に、まずはバリアフリーについて、おさらいしておきましょう。

バリアフリーは和製英語?

バリアフリーという言葉は、和製英語であるという誤解もあるようですが、前述のとおり米国発祥です。
ただし英語圏では、カタカナことばとして日本で普及しているほどの多義性はなく、主に「移動上の障壁をなくすこと」を指します。
一方で、日本ではIT分野で使用されることの多い「アクセシビリティ(accessibility)」という言葉が、日本のバリアフリーに近いニュアンスで広く使われます。

1970年代の米国でバリアフリーが広まった直接的な背景には、第二次世界大戦以降、交通事故の増加やポリオの流行、ベトナム戦争などによって、身体障害者が急増したことが挙げられます。医療技術の進歩により、かつてなら助からなかった命が、後遺症を残しながらも救われていったという側面もあります。
この時期には、後述する「障害の社会モデル」が英国で議論され始めていたことも記憶しておきたいところです。


バリアフリーを越えて

メイス氏は1950年、9歳のとき当時米国で流行していたポリオ(小児麻痺)にかかり、以後は車いすを必要とする人生を歩みます。長じて建築家となり、1970年の世界保健機関(WHO)「障害ある人の調査」に学識者として協力。ノースカロライナ州立大学デザイン学部の教授として米国の障害者政策にかかわる法整備にも関与するなど、社会のバリアフリー化に尽力していました。
一方で、その政策により「支援される」当事者でもあり、経済的・心理的に多くの不条理に身をもって直面していたことから、バリアフリーを越える概念として、ユニバーサルデザインという考え方を育てていきます。
それは、万全な状態にある平均的な人向けに開発されたモノを個別的な困難に直面している特殊な人向けに改修するのではなく、開発時点から「人々のニーズは多様である」という前提で設計すること。
ニーズの多様性という視点には、1950年代末にスウェーデンで生まれ、旅行者、子連れなど、障害以外の少数者も視野に入れていた「エルゴノミックデザイン」などの考え方も流れています。
そうすることで、追加コストなしに、ことさら「障害者」という意識を生まずにすむ社会となることを願いました。

「UD7原則」発行

とはいえ、効率化を最優先する大量生産・大量消費社会との軋轢は大きく、すぐに受け入れられたわけではありません。
米国発でユニバーサルデザインという言葉が世界的に広まったきっかけは、1993年に始まるクリントン政権が「福祉行政の民営化検討」のためのコンセプトワードとして、この言葉を採用したからだといわれています。
また、この時点ですでにUDに対してさまざまな解釈が生まれ、誤解・混乱も多くなっていました。
1995年、メイス氏は賛同者たちとともに『The Principles of Universal Design(ユニバーサルデザインの原則)』の初版を発行。批判的な議論も踏まえて、1997年に改訂版を発行しました。

『The Principles of Universal Design(ユニバーサルデザインの原則)』ポスター © NC State University, Center for Universal Design, College of Design

この原則は、「原則」「定義」「ガイドライン」の3層で構成されていますが、一般には原則と定義のみが紹介されることが多いでしょう。ただしこれらは簡潔さを優先する反面、やや抽象的で解釈の幅が広い、言い換えれば誤解を生む余地もあるものとなっています。
ガイドラインは、「どのようなデザインにも当てはまるとは限りません」との留保つきの「原則に忠実であるために必要とされる基本要件」であり、ここまで読むと原則の意図が、だいぶ明確になっていきますので、ぜひご確認ください。

【参考サイト】
ユニバーサルデザイン7原則(JPDA ライブラリ/公益社団法人 日本パッケージデザイン協会)
The Center for Universal Design - Universal Design Principles(ノースカロライナ州立大学ユニバーサルデザインセンターによる原文)



メイス氏が重視した「市場性」と「魅力」

メイス氏はこの原則に込めた考え方を普及するため、精力的な活動に尽力していきます。
改訂版発行翌年の1998年6月には、ニューヨークで開催された「第1回ユニバーサルデザイン国際会議」で『ユニバーサルデザインの考え方』と題した講演を実施。しかし、そのわずか10日後、このライフワークに取り組む起点であった持病のポリオによる不整脈により、急逝することとなります。
メイス氏の晩年の発言からは、「原則1: 公平な利用(Equitable Use)」の「定義」にある「marketable:市場性」が重要なキーワードであったことがうかがえます。
また、「ガイドライン」には「Make the design appealing to all users.=すべてのユーザーにとって魅力的なデザインにすること。」とあります。
前述のとおり、メイス氏がUDを構想するに至った背景には、障害当事者として受けていた経済的・心理的な不条理がありました。
コストを抑えるためには「売れるもの」である必要があり、売れるためにも利用時の心理にとっても「魅力的」である必要がある。これらのキーワードを原則としてもっとも重要な「原則1」に込めていたのです。

真に国際語となったUD

その後、メイス氏の遺志を継ぐ世界各地の多くの人たちの尽力により、UDは継承・発展していきました。
そして、2006年に国連総会で採択された「障害者権利条約」のなかで「ユニバーサルデザイン」が定義づけられたことにより、国際的に公的な概念になったといえるでしょう。

ユニバーサルデザインの定義
(国連「障害者の権利に関する条約」日本政府公定訳)
――――――――――――――――――――――――――――――
調整又は特別な設計を必要とすることなく、
最大限可能な範囲で全ての人が使用することのできる
製品、環境、計画及びサービスの設計
――――――――――――――――――――――――――――――

ややわかりにくい表現ですが、「つくる前から、できるだけ、すべての人が使えるものにしよう」ということですね。
「すべての人」とは、障害者に限らないということであり、「バリアフリーを越えるもの」という視点が込められています。
しかし、メイス氏が重視した「市場性」「すべての人に魅力的」に関するニュアンスを含めるのは、難しかったようです。これらの視点が再評価されるのには、10年後の2016年まで待たなければなりませんでした。

言葉の定義を乗り越えて

2000年代には先進国だけでなく、アジア各国・地域での活動もすすんでいきました。
すでに都市化された環境にある不都合を解消していく先進国型のバリアフリーからUDへの転換とは異なり、都市化の工程ではじめからバリアを生じさせない、UDをすすめていったことが特徴的です。
一方、「UD的」な取り組みは、メイス氏を起点とするものだけではなく、欧米各地でさまざまな活動が展開されていきましたが、「めざすところは同じだがアプローチが異なる」などともいわれ、長らく互いにけん制しあうような時代が続いていました。UDに否定的な見解のなかには、市場原理を重んじることへの拒否反応もあったのかもしれません。
そのような状況が一転したのが2012年です。この年の10月に福岡で開催された「国際ユニヴァーサルデザイン会議2012 in 福岡」で、「インクルーシブデザイン」「デザイン・フォー・オール」「ヒューマンセンタードデザイン」を推進する代表者とともに、名称の違いを越えて協力しあうことが合意されたのです。

「持続可能な開発」のための「市場原理」

2015年9月、国連サミットで2030年までに持続可能でよりよい世界をめざす国際目標「SDGs」を掲げる「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択されました。
「持続可能な開発」とは、1990年代末から提唱された「トリプルボトムライン」の考え方から連なるもので、環境問題や社会課題の解決と、経済的な成長のバランスを重視することです。
事業活動を通じた社会課題の解決、さらにはその視点でビジネスイノベーションをめざす「CSV」という考え方が定着してきた2016年。当時の首相からも「一億総活躍社会の実現にUDが必要」とのビデオメッセージが送られた「国際ユニヴァーサルデザイン会議2016 in 名古屋」のテーマは「UDによる共有価値の創造(CSV)」でした。
メイス氏が当初から重視していたUDのマーケティング的な側面が強調されたことが印象的なイベントとなり、市場原理を用いたイノベーションとしてUDの価値が再評価されたのがこの時期といえるでしょう。
「SDGs時代」のいま、製品・サービス開発の視点から改めてユニバーサルデザインを再定義するなら、
―――――――――――――――――――――――――――――
日常的に不便を感じている人たちの課題に応える解決策を採り入れることで、ユーザビリティを高めユーザー層を広げること。
―――――――――――――――――――――――――――――
といえるのではないでしょうか。



ユニバーサルデザイン日本史

ここからは、日本国内でのできごとを中心にみていきましょう。

ユニバーサルデザインの「輸入」と「定着」

日本にユニバーサルデザインが本格的に輸入されたのは、グッドデザイン賞に特別賞として「ユニバーサルデザイン賞」が新設された1997年といってよいでしょう。これは『ユニバーサルデザインの原則』の改訂版が発行された年でもあります。
この年に新設された特別賞は、次の3つ。
 「インタラクションデザイン(使用者との対話があるデザイン)」
 「ユニバーサルデザイン(使用時に差別のないデザイン)」
 「エコロジーデザイン(地球環境を考慮した持続可能なデザイン)」
いずれも現在の「SDGs」的な観点があるものです。
この3つの特別賞は2008年に廃止となりますが、その理由は「テーマ賞は、その概念が定着すれば役割を終えます」と記されており、改訂された審査基準にUDの概念が組み込まれました。
つまり、UDであることが「グッドデザイン」の条件となったのです。

実は早かった、日本のユニバーサルデザイン

日本で初めてユニバーサルデザインという言葉が使われたのは1996年に発行された書籍『人にやさしい公園づくり-バリアフリーからユニバーサルデザインへ』(浅野房世、亀山始、三宅祥介/鹿島出版会)であるというのが、定説になっています。
ただし、グッドデザイン賞では、特別賞としての「ユニバーサルデザイン賞」が新設される6年前の1991年に、音声で体重を知らせる体重計がすでに「ユニバーサルデザイン」として評価されています。
この1991年は、日本のユニバーサルデザインをけん引してきた「共用品推進機構」(※3)の前身である「E&Cプロジェクト」という研究会が結成された年でもあります。
これは、『ユニバーサルデザインの原則』の初版発行前であり、まだごく一部の人しかその言葉を知らなかった時代ですが、この研究会でめざした「共用品」のコンセプトは、メイス氏の考えとも一致するものでした。
つまり、「障害者だけを対象にした商品は市場規模が小さく、開発がむずかしい。それならば『誰にでも便利』をキーワードに商品の開発段階からデザインしたものを生産する」ということです。

共用品・共用サービス概念図

共用品推進機構 公式サイト「共用品・共用サービスとは?」より

「共用品」から「アクセシブルデザイン」へ

共用品推進機構の活動の特長は、個別の製品やサービス開発をすることにとどまらず、「不便さ調査」を実施し、その調査結果をもとにした解決策を企業や業界の垣根を越えてルール作りや工業規格化につなげていったことです。
現在、UDとしてイメージされるものの多くが、ここから生まれたものであることからも、その貢献の大きさがわかるでしょう。
1998年、日本政府は「共用品」を国際的に広げるべき事業と位置づけ、国際標準化機構(ISO)内にある消費者政策委員会(COPOLCO)総会において、規格を作る際の指針の作成を提案。2001年に『ISO/IECガイド71 : 高齢者及び障害のある人々のニーズに対応した規格作成配慮指針』という名称でISOより発行されました。
その際に「共用品」という語をどのように訳すかが議論となり、紆余曲折の末、めざす理想を示す「ユニバーサルデザイン」や「デザイン・フォー・オール」などよりも「実現可能で規格名称として的確」な用語として、「アクセシブルデザイン」が採用されました。(※4)

日本で育まれたユニバーサルデザイン

2002年11月、横浜で「国際ユニバーサルデザイン会議2002」が開催され、これを機に翌2003年に「国際ユニヴァーサルデザイン協議会(IAUD)」が発足。日本だけでなく、世界規模でUDの普及をけん引していきます。
2010年に公開された『IAUD・UDマトリックス』(※5)では、各種の機能を阻害する障害・症状の種類と状況と、それらに対する「一般的な配慮方法」がまとめられているのと併せて、それぞれに「特殊な状況下」という区分が掲載されています。
これは、障害当事者ではない人が当該項目と似た経験をする状況のことで、たとえば「見る」では、「暗い部屋で使う」など、特殊とはいえない状況が挙げられており、UDが特定の障害などにかかわらず、あらゆる人のためのものであることが端的にわかります。

IAUD ユーザー情報集/事例集 IAUD・UDマトリックスVer.1.10

情報提供におけるUDの発展

2000年代に入ると、阪神・淡路大震災の教訓を踏まえ、日本にいる外国の人の命を守るために「やさしい日本語」が提唱されます。これは、文字情報を読むことのハードルが高いさまざまな状況で、すばやく情報を伝えられるものとして評価され、とくに2011年の東日本大震災以降、行政などを中心に広まっています。
同時期には、色弱など色の見え方の違いに配慮する「カラーバリアフリー」が発展し、「カラーユニバーサルデザイン」が提唱され、情報のUDの基本として広まります。関連技術として、2004年に東洋インキが開発し無償配布したカラーシミュレーター「UDing」は、デザインソフトに「色の校正」機能が標準搭載されるまで、重要な役割を果たしました。
また、家電製品で表示される文字の読みやすさを追求することから始まった「ユニバーサルデザイン書体(UDフォント)」の開発などもすすみ、2006年以降に普及していきます。
2000年代半ばになると、保険金の不払い問題をきっかけに、文字媒体の読みやすさ、わかりやすさが強く求められ始めます。2007年には、コミュニケーションデザインの「見やすさ」「わかりやすさ」の基準を作成した公益協会が発足し、認証制度や表彰制度などがスタートしました。


いまも根強いデザイナーからの拒否反応

これらのノウハウは、2000年代半ば以降に集中的に進化・発展を遂げたため、それ以前に広まった「UD黎明期」の「配慮ポイント」に過剰に反応した印刷物などは、かえって読みにくく、美しさを損なったものもありました。たとえば、使用するフォントや色数を減らすことでメリハリがなくなる、文字を大きくするために余白が少なくなるなどです。
誰しもいちど感じてしまった印象や得てしまった知識を更新することは、なかなか簡単なことではありません。
デザイン学校などでは、UDは「グッドデザインの基本」であるとして教えられていますが、現在でも「UD」というだけで拒否反応を示すデザイナー、とくに印刷物を多く手掛けるグラフィック系のデザイナーが多いことも事実です。
「読みやすく、わかりやすく、かつ美しいデザイン」にするためのノウハウは、日々更新されています。社会全体での「情報のわかりにくさ」を軽減していくためにも、デザイン業務をする立場の人はもちろん、仕事を依頼する立場の人も知識を更新しつづけ、互いに切磋琢磨していくことが重要です。

世界に先駆けた「超高齢社会」の到来

2007年、日本は世界で初めて人口の21%以上が65歳以上となる「超高齢社会」に突入。高齢者が増えることは、加齢やけが、疾病などにより、身体や認知機能に障害が生じる人が増えることも意味します。
この情勢を見据えてさまざまな政策がすすみ、2005年には初めてユニバーサルデザインの名称を使用した政策「ユニバーサルデザイン政策大綱」が策定されます。
また、2006年12月に国連総会で採択された「障害者権利条約」の批准に向け、法整備を開始。2011年に「障害者基本法」を改正、2013年に「障害者差別解消法」などが成立し、およそ7年がかりで条約の求める水準に達せたことから、2014年1月にこの条約を批准しました。
この法整備による大きな転換は、障害の社会モデルに基づく「障害者の定義の拡大」と「合理的配慮概念の導入」の2点です。1970年代、UDと同時期に構想され始めた「障害の社会モデル」という考え方が、ようやく日本でも知られ始めることになったわけです。
一方で、2006年には「健やかな子育て環境を実現する」ことをめざす、「キッズデザイン協議会」も発足。高齢・障害だけでない、UDの取り組みが広がっていきます。

東日本大震災と東京2020

2011年の東日本大震災後は、防災・減災の観点からUDを捉え直す動きが盛んになります。
防災・減災とUDの関係は、わかりにくいかもしれません。しかし、被災とは「環境要因によって誰もが障害のある状態」になることであり、「障害の社会モデル」の観点に立つと、それがUDの本質のひとつであることがわかるでしょう。
2003年から始まっていたインバウンド政策もあり、前述した「やさしい日本語」とともに、文字情報に依存せずに情報を伝える「ピクトグラム」なども再評価されていきました。
また、経済産業省が、情報を視覚的に伝える「インフォグラフィックス」を活用する「ツタグラ[伝わる INFOGRAPHICS]」プロジェクトを推進するなど、グラフィカルな情報伝達への関心が一気に高まります。
しかし、行き過ぎたブームには落とし穴がつきもので、一見しただけでは意味が伝わらないピクトグラムやインフォグラフィックスも数多く生み出されることになりました。
2013年9月、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催が決まると、来日する外国人対応としてのUDに注目が集まります。この大会の基本コンセプトのひとつには「多様性と調和」が掲げられ、招致に際しては東日本大震災の経験国として「復興五輪」も謳われました。
2017年に、東京2020大会の開催に向けて『ユニバーサルデザイン2020行動計画』が策定され、「心のバリアフリー」という言葉が広まりました。現在の日本のUD政策の基本となっています。




TOPPANのユニバーサルデザイン推進

ここからは、TOPPANのUDへの取り組みの歴史をご紹介します。


商品パッケージから始まったUDへの取り組み

TOPPANのUD関連の取り組みは、1995年に商品パッケージの分野でのバリアフリー研究から始まり、ユニバーサルデザインに発展。時代のニーズに応え、社会のイノベーションに貢献したいという想いは、現在にも引き継がれています。


2000年には、全社横断のプロジェクトを発足。情報コミュニケーション領域など幅広い分野でサービス開発をすすめていくことになります。


2001年に『ユニバーサルデザイン考』展を中心とした啓発イベントを開催して以降、『みんなにうれしいカタチ』展など、社会との情報共有の場を設けるとともに、2007年には、キッズデザイン協議会の設立に参画。また、前述した「アクセシブルデザイン」の規格にもノウハウを提供しています。

TOPPANがノウハウを提供した規格
―――――――――――――――――――――――――――――
JIS S 0022 高齢者・障害者配慮設計指針-包装・容器-開封性試験方法
JIS S 0022-3 高齢者・障害者配慮設計指針-包装・容器-触覚識別表示
JIS S 0022-4 高齢者・障害者配慮設計指針-包装・容器-使用性評価方法
JIS S 0025 高齢者・障害者配慮設計指針-包装・容器-危険の凸警告表示-要求事項
JIS S 0032 高齢者・障害者配慮設計指針-視覚表示物-日本語文字の最小可読文字サイズ推定方法
JIS S 0033 高齢者・障害者配慮設計指針-視覚表示物-年齢を考慮した基本色領域に基づく色の組合せ方法
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情報をわかりやすく、魅力的に伝えるために

2009年には、情報媒体でのユニバーサルデザインを追求した「TOPPAN E-UD」を体系化。「見ため」はもちろん、発行の目的に合致した企画なのか、ページ構成や文章表現は理解しやすいか、そもそも「読む気になるか」など、5つの視点で検証できるノウハウを体系化しました。
2018年には、このノウハウを活用した診断・改善提案サービスとして「でんたつクリニック®」をリリース。この記事でお伝えしてきたような広義の意味での情報ユニバーサルデザインを実現するためのソリューションとして、提供しています。
とくにブランディングとの親和性を重視していることが特長で、近年は、ジェンダー・性的多様性への配慮や、発達障害への関心の高まりを受けて注目されることの多い認知特性の多様性への配慮に注力しています。


UDからダイバーシティ&インクルージョンへ

2016年には、「UDコミュニケーションラボ」を開設し、狭義のユニバーサルデザインに限らない「ダイバーシティ&インクルージョン支援」を開始。
「ダイバーシティ&インクルージョン」という言葉が普及してきた2020年には、これまでの「UDビジネス」を進化拡張させ「D&Iソリューション」として再構築し、多様なサービスを開発・ご提供しています。

今後は、さらに一歩踏み込んだユニバーサルデザインに関係の深い話題を取り上げていきます。
UDに関する疑問・ご要望などございましたら、お気軽に『CONTACT』からお問い合わせください。



【主な参考文献と関連情報】

(※1)
原題は『Universal Design: Barrier Free Environments for Everyone』
参考ページ http://www.udit.jp/report/ud_about/ronmace.html

(※2)
会議の名称は「国連障害者生活環境専門家会議」と訳されますが、元の名称は「United Nations Expert Group Meeting on Barrier-Free Design」であり、バリアフリーに関するものであることがわかります。この時点では、「建築上障壁のない設計」を指していました。

(※3)
公益財団法人 共用品推進機構 https://www.kyoyohin.org/

(※4)
当初、米国からは「ユニバーサルデザイン」、英国からは「デザイン・フォー・オール」が提案されました。しかし「すべての人」が使えることは理想だがそれは不可能であり、「Universal」や「All」では「すべての人が使えなくてはならない=不可能だ」と思われるとこのガイド自体が意味をなさなくなるという懸念が生まれました。再検討するなかで、「すべての人」ではなく「より多くの人」を対象にしたものとして世界共通の認識がもてること、実現可能で的確な用語であることから、ユニバーサルデザインより前から使われていた「アクセシブルデザイン」が再評価され、採用されました。

(※5)
一般財団法人 国際ユニヴァーサルデザイン協議会『IAUD・UDマトリックス』 https://www.iaud.net/UDmatrix_userinfo/


2023.08.04

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