DXによる変革が暮らしや
ビジネスにもたらすものとは
DXの本質を理解し変革につなげていくことは、あらゆる組織にとって急務となっています。
しかし、DXは単なるデジタル化と誤解されることも多く、未だ目指すべき方向を見失っているケースも少なくありません。
東京通信大学情報マネジメント学部学部長 前川徹(まえがわ とおる)さんに、DXの本質と捉え方を解説いただき、私たちはどうDXと向き合っていくべきか、そして、どうすればより良い変革につなげていけるのか、考え方のヒントをうかがいました。
※本コラムは2021年10月18日に発行したideanote vol.144の内容に基づき作成しております。
DXは単なる技術革新ではなくビジネスや暮らしを変革するもの
産業界でDXがキーワードになったのは、2018年9月、経済産業省が「DXレポート~ITシステム『2025年の崖』※の克服とDXの本格的な展開」を出したのがきっかけでしょう。しかしこのレポートには、「DX=レガシーとなっている情報システムの刷新やクラウド化」と読み取れる記載があり、これがDXをめぐる混乱の一因となったと思われます。
そもそもDXは、エリック・ストルターマン博士が発表した論文の中で提唱された概念です。その定義は明確に決まっているわけではなく、専門家や組織によって異なります。博士の論文では「デジタル技術によってもたらされる、生活の全ての面での変化」であると述べており、私はそこにDXの本質があると考えています。
また、DXは単なる「情報化」とも異なります。情報化では、アナログのものをデジタル化することで、業務のプロセスを最適化するなど、効率化に重点が置かれていました。しかしDXは、もっと本質的な変革そのものを意味しています。単なる技術革新ではなく、それによってビジネスや人々の暮らしが大きく変わっていく変革そのもののことを指していると言えるでしょう。
※ 2025年の崖:DXレポートでは、2025年まで複雑化・老朽化した国内の既存システムが残存した場合、国際競争への遅れや多大な経済損失が発生する危険性があると指摘している。
DXがもたらすデジタル・ディスラプション
DXの本質を理解するために、写真業界で起きたデジタル・ディスラプション(disruption:破壊)に触れておきましょう。皆さんご存じの通り、デジタル技術の発展により、フィルム産業は極端に縮小しました。かつては街を歩けば写真プリントを行う小規模の店舗がたくさんありましたが、今はほとんど見かけません。カメラがフィルムからデジタルに置き換わっただけでなく、撮影後の現像に付随したビジネスの市場規模が極端にしぼんでしまったわけです。
実際、世界最大の売上を誇っていたフィルム企業は2012年に経営破綻してしまいました。一方、日本でトップシェアを誇っていた企業は、それまで写真フィルムで培ってきた素材や技術などを活用し、化粧品やヘルスケアなどに事業転換を果たしました。
このように、DXは企業そのもの、あるいはビジネスや産業そのものを破壊してしまうことがあり、これを、デジタル・ディスラプションといいます。似たようなことは、音楽業界や映像業界をはじめ、様々な業界で起きています。ネット配信やサブスクリプションというビジネスがディスラプター(破壊者)となり、CDやDVDの販売やレンタルという従来のビジネス形態を破壊しているわけです。例えば新聞業界は、その購読者数が減っているだけでなく、広告収入も大きく減少しています。反対に増えているのがインターネット広告です。2000年あたりから増え始め、現在、すでに広告費は新聞やテレビよりも大きくなっています。つまり、FacebookやGoogleといった企業が、新聞やテレビ業界を破壊しつつあるわけです。同様に、ホテル・旅館業界に民泊仲介サイトが、タクシー業界・公共交通機関にライドシェアサービスが、それぞれディスラプターとして現れています。
しかし、先ほどのフィルム企業の例もそうですが、破壊される側にいた会社でも、自分たちが変わっていくことで新たな活路を見出したケースがあります。例えば、アメリカのワシントンポストの場合、かつては少数精鋭の記者が記事を書く地方紙でしたが、「権力の監視者」という最も大事な理念は変えずに、世界中にジャーナリストのネットワークを持つグローバルなメディアへと生まれ変わりました。また、テキスト配信だけではなく、Podcas tや動画配信も行うようになりました。ビジネス形態を変化させ、破壊される側から、破壊する側へと変貌を遂げたのです。
パラダイムシフトにより豊かさも変化
次に、DXにより生活者の消費の仕方がどのように変化したのか、音楽業界を例に見てみましょう。この業界の主力商品は、1980年代の半ばにレコードからCDに変わり、その後オンライン配信、さらにサブスクリプションへと移行していきました。
オンライン配信の時代までは、顧客が音楽というコンテンツにお金を払って買い取る形であることに変わりありません。しかしサブスクリプションは抜本的に違います。顧客は毎月の利用料を払うと、何千万という曲がいつでもどこでも聴き放題になる。情報財(音楽コンテンツ)を売ることから、音楽を提供するサービスに、ビジネスモデルが大きく変わったわけです。音楽産業におけるDXは、このサブスクリプション化にこそあるでしょう。
音楽のサブスクリプション化について言えば、企業側も利益が上がり、ユーザー側も何千万曲もの音楽をいつでも聴けるようになった上に、保管する必要もなくなり、自分の好きな曲だけを並べたプレイリストなどもつくられるようになりました。つまり、企業も顧客もWinWinの関係になったわけです。このような所有から利用へのパラダイムシフトは、いろいろな業界で起きています。ソフトウェア業界も従来はパッケージソフトを売っていましたが、サブスクリプションに変わりました。動画、雑誌はもちろん、シェアリング・エコノミーの波に乗って、車、ファッション製品などのジャンルに広がっています。
ただ、こうした豊かさはGDPでは測れません。何千万曲が聴き放題になった豊かさは、物を所有する豊かさとは異なるからです。つまりGDPは、工業社会の豊かさを示す尺度にはなり得るが、情報社会の豊かさを示す尺度にはなり得ないということです。今後、私たちはそうした豊かさを示す新しいものさしを考える必要もあるでしょう。
テクノロジーの発展により本来の意味での情報社会に
DXの特徴の1つである、自動化の例も見ておきましょう。DX以前の自動化は、単純な繰り返し作業に限られていましたが、DX 時代の自動化は若干の知的労働を伴うような繰り返し作業ができるようになってきました。これは、ディープ・ラーニングの普及によるところが大きいと思われます。ディープ・ラーニングにより、視覚・聴覚・触覚の情報を頼りに人間が行っている判断をコンピューターに効率的に学習させることができるようになり、以前は人にしかできなかった作業の自動化が進んでいます。人と協働できるAIやロボットが出てきて、工場に限らず、金融業、サービス業、流通業、小売業、農業などで活躍し始めています。
自動化の事例を挙げると、ある産業用廃棄物の仕分けをしている工場では、選別作業にAIロボットを取り入れたところ、18名体制だった現場のラインがなんと2名体制に、作業効率は物量でいうと6倍になったそうです。その結果、この会社では、人にしかできない他の部門に人員を回すことができたわけです。
今後も画像認識や音声認識の技術の進展により、自動化はどんどん進んでいくでしょう。ですから、これからの若い人たちは、ロボットにはできないスキルや知識、技術を身に付けていく必要があるでしょう。ただし、日本はこれから労働力人口がどんどん減っていくので、ロボットによって労働が奪われるという心配はあまりないと思います。不足する労働力をAIやロボットが補ってくれるようになると考えればよいでしょう。
現在、このようなロボットやAI、IoTなどを活用した第4次産業革命が進んでいます。政府はこれらのテクノロジーを用いて実現していく新たな社会を「Society 5.0」と位置付けています。狩猟社会から始まり、農業社会、工業社会、情報社会と続き、5段階目に当たる社会という意味です。ただ、私はまだ「本来の意味での情報社会」には達していないと考えています。
未来学者の増田米二先生は1980年代に、情報社会の基本的機能を「知的労働の増幅と代替」であると説いています。それから30年以上経った現在、様々なテクノロジーが発展しましたが、人間の知的労働を代替していると言える段階まで達したとは、まだ言い切れないのではないでしょうか。
ディープ・ラーニングなどの技術革新により、一部の知的労働はAIが担うようになりつつあります。AI、IoTなどを活用した第4次産業革命の今がまさに、「知的労働の増幅と代替」が完成する時であり、工業社会から「本来の意味での情報社会」に移る時ではないかと考えます。これらの社会における一連の変化こそがデジタルによる変革、つまりDXであると考えることもできます。
危機感を持ち、変化を恐れないことそれがイノベーションにつながる
ある調査によると、日本のデジタル競争力は63カ国中27位と、先進国の中ではかなり出遅れており、国際競争という面では「破壊される側」になりかねません。実際、なぜか日本は国も企業もなかなか従来のやり方を変えたがりません。象徴的な問題を1つ挙げるなら、ファックス文化でしょう。スマートフォンがこれだけ普及した現在、アプリケーションを活用した、もっと便利で楽な方法がいくらでもあるはずですが、未だに受発注などをファックスで行っているところが少なくありません。
DXにおいてまず重要なのは、危機感を持つことです。自分の産業やビジネスが10年、20年後どうなっているのかを考える。その上で、このままでは破壊されかねないと気付いたなら、その危機感を社内で共有し、自分たちはどうすべきか考えなければなりません。そして、そこにトップがコミットメントできるかどうかが、企業が生き残っていく上での大きなポイントだと思います。実際にこれまでにも、技術革新による大きな変化の波に見舞われながらも生き残ってきた企業には先見の明があり、変化を恐れずに英断を下せる経営者の姿がありました。
企業や自治体のDX推進に取り組まれる皆さんには、まずDXは従来の情報化やデジタル化とは違うということを、改めて認識いただきたいと思います。もちろん、既存システムの刷新やクラウド化などの改革は、どんどん進めるべきです。その上で、もう一度自分たちの仕事やビジネス、組織のあり方を考え直していけば、見えてくることがたくさんあるはずです。今回事例に挙げた企業もデジタルを前提に、どのように顧客ニーズに応えていくかを考え、ビジネスを再構築しています。前例にとらわれずにゼロベースで考えていけば、単なる効率化ではなく、顧客にとってもさらに便利な、イノベーションが起こせるのではないでしょうか。
こうした取り組みがうまくいけば、自動化や効率化などにより生じた、余ったエネルギーを製品開発やサービスの向上、余暇の充実などに使えるはずです。その結果として、多くの人々にとってより便利でより楽しい社会が実現することを期待しています。
前川 徹(まえがわ とおる)さん 東京通信大学 情報マネジメント学部学部長 【プロフィール】 1978年通商産業省入省、機械情報産業局情報政策企画室長、JETRO NYセンター産業用電子機器部長、独立行政法人情報処理推進機構セキュリティセンター所長、早稲田大学大学院国際情報通信研究科客員教授(専任扱い)、富士通総研経済研究所主任研究員、サイバー大学IT総合学部教授等を経て、2018年4月から現職。この間、一般社団法人コンピュータソフトウェア協会専務理事、国際大学GLOCOM所長などを兼務。 |
2023.10.11