コラム

Well-beingとは?
企業が取り組むべき理由とは

「働き方改革」「健康経営」「SDGs」など、企業にはさまざまな取り組みが求められています。そんな中、昨今重要なテーマになりつつあるのが「Well-being」です。幸福学研究の第一人者で、さまざまな企業の取り組みにも詳しい慶應義塾大学大学院教授・前野隆司さんと弊社副社長・大久保伸一が、企業が取り組むべき「Well-being」について語り合いました。
※本コラムは2022年9月26日に発行したideanote 特別号 WB特集の内容に基づき作成しております。


慶應義塾大学大学院教授・前野隆司さんと弊社副社長・大久保伸一が、企業が取り組むべき「Well-being」について語り合いました。

Well-beingとは、心と体と社会が 満ち足りている状態

大久保 「Well-beingな状態」を言葉にするのはなかなか難しいですが、「調和がとれた状態」ではないかと考えています。生きがいと働きがいの調和、精神と肉体の調和、社会と自分自身の調和、自分自身の内側の調和がとれている状態。あるいは、自身の存在について承認されていると感じ、社会や他人への貢献を実感でき、それによって自身の存在と存在意義を実感できる状態ではないかと思っています。

前野 Well-beingについては、世界保健機関(WHO)憲章の前文に記された、健康の定義がよく知られています。身体的・精神的・社会的に良好な状態のことを健康とし、この「良好な状態」というのが、「Well-being」の和訳です。心と体と社会が満ち足りていること、とも言えるでしょう。副社長がおっしゃる通り、調和がとれていないと、良好な状態であるわけがありません。そして、Well-beingは、「ハッピー」ともちょっと違うんです。ハッピーはただ楽しい状態。一方Well-beingは、やりがいがあって、一時は苦しくても、成し遂げる喜びがある状態なんですね。

大久保 Well-beingは、実は今に始まった考え方ではないと感じています。たとえば、仏教にも同じような考え方があります。あるお坊さんに聞いた話ですが、天国と地獄、それぞれに住んでいるのは同じ人間で、どちらも同じように長い箸を持って食事をしている。天国に住んでいる人間は、その箸でお互いに食べさせ合っているので、みんな満ち足りて楽しく過ごしている。地獄に住んでいる人間は、長い箸で自分だけ食べようとするのでうまく食べられず、ガリガリに痩せて苦しんでいる。この天国のように、互いに与え合うことで満ち足りている世界がWell-beingな状態に近いのではないかと、個人的には思っています。

前野 その通りだと思います。心と社会の調和がとれているから、人は利他的でいられるし、利他的な人は幸せだということが、様々な研究で明らかになっています。箸は例えで、現代的に言い換えればテクノロジーなどを使って、自分たちだけが財を得ようとすると、不幸になっていく。みんなが幸せになるためにテクノロジーなどを使えば、自分も人々も幸せになるし、Well-beingな社会が実現する、ということだと思います。


企業の発展のためにも、Well-beingは重要な概念

大久保 私は、企業において一番大切なことは、「活力」だと考えています。企業の活力とは、単に生産性や技術力が高いというだけではなく、環境の変化に適応できる力のことです。そして、環境に適応するためには、常にイノベーションを起こしていく必要があります。イノベーションを起こすのは「人」ですから、働く人たちが生きがいを持ってWell-beingな状態で働いていることこそが、企業の活力になると思っています。

前野 Well-beingと企業の関係については、医学、心理学、経営学などにおいて、世界中でさまざまな研究が行われています。有名なデータを挙げますと、幸せな従業員は不幸せな従業員に比べて創造性が3倍、生産性は1.3倍高いということが分かっています。リーダーシップやチャレンジ精神を発揮するし、出世も早い。欠勤率や離職率が低く、ミスもしにくい。しかも健康長寿。ですから、企業の発展のためにも、従業員が活き活きと働き続けるためにも、Well-beingは非常に重要な概念だと思います。

大久保 そうですね。ですから企業は、イノベーションを起こす人たちを常に尊重して、彼らが働きやすい環境を作っていかなければならないでしょう。

前野 会社は、従業員のWell-beingを、常に確認する必要があると思います。私は人々が幸せになる要素として「幸せの四つの因子」を挙げています。まず、「やってみよう因子」は夢や目標に向かって主体的に行動すること。「ありがとう因子」は、お互いに利他的で、感謝し合っていること。「なんとかなる因子」は、物事に対してポジティブで、ある程度楽観的であること。「ありのまま因子」は、一人ひとりがありのままの個性を生かして働いていることです。

大久保 それらがすべてそろっていれば、みんな会社に行くのが楽しくなりますよね。

前野 そうなんです。私が取材に伺った会社でも、従業員のWell-beingが高いところには、「会社にいるのが楽しくてしょうがないから、帰りたくない」という人が何人もいました。そういう会社は、やはり経営陣が従業員のことを本当に大切に思っていて、従業員も経営陣に対して仲間意識があり、尊敬もしていましたね。


やりがいを持って仕事に取り組める環境を、企業が実現していく

大久保 実は、私たちがやっている事業そのものが、Wellbeingを目指したものが多く、TOPPANは「Well-being実現企業」と言えるのではないかと思っています。たとえば、TOPPANの子会社である株式会社 芸術造形研究所(以下、芸造研)では、芸術を使って心の安定を図る臨床美術事業をやっています。左脳的機能である論理性や計算などではなく、右脳的機能である感性を鍛えるために、芸術を活用するのです。

たとえば、「りんごの絵」を描くコンテンツがあります。りんごの絵というと、赤い丸の上に軸と緑の葉をつける定型がありますよね。でもそれは、絵というよりは象形文字に近く、つまり左脳で描いているものです。そうではなく、りんごを手で持った時の重さ、匂い、触感、味など、それぞれ感じた感覚にもっとも近いと思う色を選び、りんごを芯から描いていくのです。そうやって感性を生かして描いた絵は、全員が違うものになります。新入社員にも体験してもらっているのですが、みんな個性的な素晴らしい絵を描くのです。

前野 非常に興味深いコンテンツですね。私もぜひ体験してみたいです。りんごを芯から描くというのはキュビズムを思わせます。ピカソは顔を写実的に描くのではなく、感性で描いた結果、目や鼻の形や位置が、それまでとは全く違うものになったといいます。TOPPANさんは芸術の歴史から見ても、非常に現代的な試みをされているのですね。

大久保 絵を描くだけでなく、みんなで見せ合い、褒め合うということもします。こうした活動は、認知症の予防・改善につながることが分かっています。また、メンタル不全になり会社に行けなくなってしまった人も、臨床美術により、仕事に復帰できるようになるのです。右脳と左脳のバランスを整え、コミュニケーションも促進する。これはWell-beingのための一つの手法になっているので、社内はもちろん、いろいろな企業にお勧めしています。


前野 素晴らしい取り組みですね。実は私もいろいろな本に、「これからは美の時代。みんな芸術をやるべきだ」と、書いているんです。左脳で考えるテストの問題——いわゆる「正解」が決まっている問題は、一つの軸で人間を測るため、そこに序列ができます。でも、芸術の場合、100人いれば100通りの答えがある。そこに序列はなく、全員素晴らしいということになるので、結果的に、自己肯定感が高まりますよね。

今、日本人は非常に自己肯定感が低くなっていることが問題になっています。これは、画一的な偏差値教育や、いい会社に入ることだけを人生の目的と考えるなど、人間を一つの軸で測ろうとしてきた弊害でしょう。その点、芸術は、万人に平等です。その人が持っている感性、創造性を生かす芸術活動は、先ほど挙げた、四つの因子をすべて満たすことになるのです。それに、日本人が比較的苦手な、人目を気にせずに自由に発想するという力も、芸術によって育まれます。本来日本人は和歌にしても茶の湯にしても、芸術活動と密接な関係にあったはずです。ここで転換して、日本人が本来持っていた和の精神や美の精神に戻ってみるのがいいのではないでしょうか。

大久保 その通りだと思います。縄文土器から始まって、自由な発想で自由な行動をとっていたはずなんです。すっかり偏差値重視の世の中になってしまいましたが、改めるべきですね。

その人が持っている感性、創造性を生かす芸術活動

前野 あともう一つ、美しいものを作っていると、心も美しくなります。心が美しいと助け合いますから、平和な世界にもつながります。ですから、私自身、積極的に芸術活動を行うようにしてきました。大学時代は美術部でしたし、キヤノン時代から写真もよく撮っています。1年半前から、書道も始めました。小学校2年生以来ですから、本当に童心に戻ったような気持ちで楽しんでいます。TOPPANさんがやっていらっしゃる試みと、まさに通じるものがあると思います。

大久保 TOPPANは芸造研以外にも、社内のWell-beingを高める活動を行っています。たとえば「人財開発センター」は、伊藤邦雄先生がおっしゃっている、人的資本、つまり「人財」の可能性を高めるための組織です。その中にある「人財開発ラボ」は、新たな人財育成プログラムの開発拠点であり、脳神経科学やコンディション、感性、哲学、宇宙、SDGsと仏教の関係など、さまざまな研究会を実施しています。宇宙の研究会は特に、日常生活から離れて宇宙を見て考えると、それまでとは全く違う発想が生まれるようになる。つまり、さまざまな角度から物事を考えられるようになるのです。

前野 TOPPANさんがそこまでさまざまなことに取り組んでいることは知りませんでした。元々印刷から美術や人材開発に広がっていったのでしょうか?

大久保 印刷から直接広がったのではなく、常にイノベーションを求めてきた結果だと思います。というのも、印刷技術はここ数年で大きく変化しました。私が入社した頃はフィルムで製版をしていましたが、今はデジタルです。弊社がこうした変化を乗り越えてこられた理由は、まさにイノベーションにあると思います。そして、イノベーションを起こしているのは人財。その人財が、やりがいや生きがいを持って働ける環境を会社は作らなければいけないと考えています。


人々の「幸せ」を大切にする企業経営が求められる時代に

前野 私が今まで本当にWell-beingを実現していると驚いたのは、いずれも中小企業でした。見学に行きましたが、これらの企業は、従業員が本当に幸せそうでした。皆さん、「どんどん成長してより良い人になりたい」「社会のために貢献したい」といった、とても美しい心をお持ちでした。中小企業の場合、社長の声が従業員に直接届くので、一致団結しやすいということが言えるでしょう。これが大企業でできるといいなと思っていたので、ぜひTOPPANさんに実現していただきたいですね。人材育成を中心にしていかれると、少しずつ確実に浸透していくのではないかと思います。非常に期待しています。

大久保 ありがとうございます。

前野 先ほど挙げたWell-beingを実現している企業に共通していたのは、なるべく制度や決まりごとを作らない、ということでした。やり方は会社ごとにさまざまあると思いますが、たとえば、人事評価基準はなるべく減らすという方法です。制度を作ると従業員は均一化するのですが、制度がなくなるとそれぞれの個性が生きてきます。1万人いたら1万通りの考え方ややり方が生まれ、それを実現していくことになるので、大企業だとなかなか難しいところではありますが。

大久保 そうですね。何よりまず、この会社は何をしようとしている会社なのか、従業員全員の腹にちゃんと落ちていることが大事かと思います。理念であれパーパスであれ、自分が何かしようと思ったとき、そこに照らし合わせて考えられる太い基準のようなものが社内に浸透していれば、おのずと一人ひとりがとるべき行動は、分かってくるのではないでしょうか。

前野 副社長のおっしゃる「企業理念の浸透」は、非常に重要ですね。その会社の製品やサービスを通してイノベーションを起こし、社会を幸せにするんだという思いの醸成につながります。そして、人々を幸せにするためには、まずは働き方改革をして自分たちも幸せになる。「三方良し」の、近江商人のような考え方ですよね。まさにこれも、日本に昔からある考え方です。

大久保 そうですね。新型コロナ、紛争、環境破壊など、地球は待ったなしの状態にきていると思います。この流れから脱却するには、やはり、それぞれが利他の心を持ち、お互いに与え合うことで、地球全体の調和を実現するしかないのではないでしょうか。そう考えると、Well-beingに注目する流れは、起こるべくして起こったという気もしているんです。

前野 ええ。産業革命以来、長年にわたり経済成長ばかりが重視され、Well-beingがおざなりにされてきました。そうした時代がそろそろ終わり、人々の幸せや地球環境など、一番大切なものをちゃんと大切にする企業経営が求められる時代になったのだと思います。Well-beingを中心に据えた経営の取り組みが広がっていくことを、私も応援させていただきながら、産官学で連携していきたいと思っています。

大久保 ぜひよろしくお願いします。Well-beingを中心に据えた経営を行っていけば、新しいアイデアも浮かび、新しいことに挑戦しやすくなるはずです。TOPPANとしては、今後もそうしたイノベーションを起こす人たちにWell-beingな状態で働いてもらい、「Well-being 実現企業」として、人々と社会に貢献していきたいと考えています。


前野 隆司(まえの たかし)さん

1984年東京工業大学卒業、1986年同大学修士課程修了。キヤノン株式会社、カリフォル ニア大学バークレー校訪問研究員、ハーバード大学訪問教授等を経て現在慶應義塾大学 大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長兼務。博士(工学)。著書に、『ディストピア禍の新・幸福論』(2022年)、『ウェルビーイング』(2022年)、『幸せな職場の経営学』(2019年)、『幸せのメカニズム』(2013年)、『脳はなぜ「心」を作ったのか』(2004年)など多数。日本機械学会賞(論文)(1999年)、日本ロボット学会論文賞(2003年)、日本バーチャルリアリ ティ学会論文賞(2007年)などを受賞。専門は、システムデザイン・マネジメント学、幸福学、イノベーション教育など。
大久保 伸一(おおくぼ しんいち)
TOPPAN株式会社
副社長執行役員 CHRO

1951年茨城県出身。1975年中央大学法学部卒業。同年、凸版印刷株式会社入社。1996年能力開発部長に就任。1998年に秘書室長、2002年に人事部長に就任。その後、取締役、 常務取締役、専務取締役を歴任し、現在は、代表取締役副社長執行役員秘書室及び人事労政本部、法務本部、広報本部担当。その他、芸術造形研究所・代表取締役社長、TOPPAN HALL・代表取締役社長、TOPPANグループ健康保険組合・理事長、東京経営者協会・副会長及び中央支部長、経済同友会・幹事などを務める。

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